題のとおりです。2020年5月に幻覚や妄想などの陽性症状がピークに達し閉鎖病棟にぶち込まれ、そこで統合失調症と診断されてから3年の月日が経ち、2年間は就活や仕事などしていましたが、2025年2月からふたたび幻覚や妄想などの陽性症状がピークに達し閉鎖病棟にぶち込まれました。何やってんだお前ェ!!!!
後で知ったことですが、統合失調症は再発率が高く、5年以内に7割の患者が再発するみたいです。たとえ薬を飲んでいても3割は再発するケースが存在し、欠かさず薬を飲んでいた私はそのケースでした。カス!!!!
現在は閉鎖病棟から無事退院し、実家で療養の形を取っています。療養の形を取っているんですが、あまりに今後の展望がなさすぎるのでどうしようか困っている状況です。
仕事は? クビになりました。私があまりにも憔悴しているとのことで出向先の偉い人や本社の社長と一緒に自宅の近くでミーティングを行うことになっていたのですが、当日の朝になって完全におかしくなっていた私は、本当に、本当になけなしの理性でもって自分を無理やり警察に保護させていたのでそんなミーティングなんて行ってる余裕がありませんでした。
どうやって警察に保護させたかというと、まず駅員の前で服をぜんぶ脱いで「捕まえてください!」と叫ぶんですよね。これで駅員に連れられた形で警察保護RTAが成立します。
どうやって自分を常軌を逸した異常者だと思われるようにふるまい、かつ本物の異常者だとしてもどうやってまわりの他人に指一本触れず被害を加えないようにすればいいのか? 服を脱いで全裸になって「捕まえてください」もしくは「警察を呼んでください」と頼んでください。以上。頭おかしいよお前……。
本当におかしくなっていたんだからしょうがないだろ! これしかなかったんだよ! 会社には私の涙ぐましい努力は届いてなかったのでお偉いさんの会合をブッチしたという理由でクローズ就職していた私は退職を勧められ、結果的に自主退職という形でクビになりました。いや、もはやなにも言うまい。仕方がない、と言い切れないような世の中にはまだなっていないみたいです。
現在は再発から日が遠くなくても前回と比べて認知機能障害や陰性症状はそれほど重くはないです。医師からはフルタイムの労務不能というドクターストップを受けていますが、アルバイトは良いみたいなので簿記の資格を取りながらバイトを探そうか考えている最中です。
また、いままで障害年金を利用していなかったのですが、利用しないと本当に生活がやばくなるとのことでようやく重い腰を上げて障害年金関係の書類を書き上げました。近々申請するつもりです。
私の病状は2年前の状態とあまり変わらないので、今回はべつの話題について話していきたいと思っています。
こちらの記事にある統合失調症についての前半の記述がとても的を射ていたので、簡単な補足も含めて言及していこうと思います。
なんでもかんでも「わかって」しまう。
「ああなんだそういうことだったのか」「そうか!」「わかった」「どうしてこんなことに今まで気付けなかったんだ」のようなことが毎日ものすごい量発生する。
この「わかったぞ!」という感覚は、勉強や仕事をしていてわからなかったことがわかったときと同じ。解放感と嬉しさがそこにはある。
このなんでもかんでもわかってしまうときの「わかり方」は基本的に論理的ではない。なのでわけのわからない意味の接続が脳の中で行われる。
けだし名文。統合失調症における「妄覚」を完璧に言い表しています。
私はこの感覚のことを「頭が澄む」と表現しているのですが、実際にいままでわからなかったことが簡単にわかるような錯覚を覚えたり、関連のない複数の物事に対しても自然と関連を覚えたりと、とにかく「わかって」しまいます。
最初のうちは本当に関連があることなのですが、陽性症状の終盤にかけては本当に意味のわからない接続がもうめちゃくちゃに脳内で行われるので、ドーパミン仮説に則ればドーパミンが脳内の中脳辺縁系で異常分泌されてるんでしょうね。スピリチュアルな言葉で書くなら「氣づく」とかなんじゃないでしょうか。
たとえば「いちごが赤いのは、もともといちごは赤ちゃんだったためだ」のような理解をし始める。全く関連などないのだが、一度この理解がなされると今度はこれが前提知識となる。
それで「いちごが赤ちゃんだったから、赤ちゃんの髪の毛は黒いのか(つぶつぶ)」「待てよ?つまり人間の髪の毛が黒いのはいちごのおかげか?」のようなことを真剣に考えてしまう。
ギャグならおもしろいかもしれないが、現実なので全くおもしろくない。
はい、当事者としても全くおもしろくないです。脳内でイメージの氾濫が起きてるので、それが制御できない状態ですね。後述しますが、自分が耐えたり他人がどうこう言ってどうにかなる状況ではありません。そもそも、あらゆるイメージが氾濫し、それが自分に関連づけられるという作為体験は本当に恐怖でしかないんですね。統合失調症患者が叫んでるのも8割ぐらいこの恐怖があるのではないかと私は勝手に思っています。
そしてあらゆることがわかり始めるので万能感が増す。全能感があり、他人を見下すようになる。
他人を見下すというレベルではない。他人が、知能の劣った存在・脳の回転が異様に遅い存在・猿のように見えてくる。会話不能な存在のような感じだ。
なぜなら自分が「明らかにすぐにわかってしまう」ことを、彼らは全然理解できないからだ。(他人から理解できないのはあたりまえだが)
自分が統合失調症にかかっていたときは「お前らの方が全員支離滅裂で統合失調症だ」と思っていた。
私はまわりを見下すようなパターンはまったくなく、「すでに私以外の人間が邪悪な存在に操られている。そして最後の一人である私をまわりで結託し操ろうとしている」というパターンでした。なのでだれが味方なのかだれが敵なのかどうかすらもわからない。
自我障害による自他境界もどんどん曖昧になっていって他人と自分の区別がつかない以上、私にできることと言えば「信じる」という行いだけでした。
だとしても話は簡単ではなく、敵か味方かどうかすらもわからないのに素朴に味方を信じればいいのか? それともあえて敵を信じれば良いのか? 味方のふりをしている敵を信じればいいのか? 敵のふりをしている味方を信じればいいのか? というふうに、私のまなざす人間が村人か人狼なのかが本当にわからないので(そしてそういう白黒思考を強要されてしまうので)、本当にストレスでした。
また、他人の心が「読める」ように感じたり、逆に読まれたりしているように感じることがよくある。(全能なのでそういうことができると思っている)
「俺はそいつの顔を見ただけでだいたい何考えてるかわかるんだよ」と言う人の強化版だと思ってもらえるといいかもしれない。
本来の他人の思考とは関係なく、自分の中で他人という存在が完結する。相手の中の合理性を考えなくなる。
人の話を全く聞かなくなるわけだな。
「人の話を全く聞かなくなる」というのはかなり不適当で、正確には「人の聞かされた話が脳内で勝手に書き換わる」と表したほうがいいかもしれません。
たとえば以前の段落で言ったように、脳内で無限ともいえるようなイメージの氾濫と関連づけが行われるので、他人が仮に「薬を飲んだほうがいい」「病院に行ったほうがいい」と言っても、「お前は早く猛毒の薬を飲んだほうがいい」「病院に行ってお前は死んだほうがいい」と勝手に受け取っちゃうんですよね。
統合失調症には病識がないことは有名ですが、より正確に言うならば「自分が異常だという病識が自分の異常な脳によって認識が書き換わる」と見なしたほうがいいかもしれません。ここには自認(意識)と無意識という二重の意識があります。
よって統合失調症の患者は異常だから薬を飲まないのではなく、むしろ混乱している自分の妄想に圧倒されたくない、最後まで抗いたいから薬を飲もうとしないという逆説が成立します。
こういう状況は大規模言語モデル(LLM)におけるハルシネーションと酷似しているかもしれません。たとえLLMが事実から学習したとしても、もっともらしい虚偽の嘘を「作話」してしまうように、統合失調症における妄想は脳内の異常によりもっともらしい嘘を「作話」します。でたらめの前提を作ってしまうので、そこからでたらめの閃きやでたらめの思考が浮かんでしまうのです。それを私は「ハルシネーション」と表現しました。
「氣づく」という観点で例を挙げるなら、夢の中でなにか閃いたとき、論理的にめちゃくちゃなことでもすごいことだと認識して理解できるような感覚を覚えた経験があるとは思いますが、そういう感覚と似ています。言ってしまえば自分の地に足ついた現実感覚が異常な速度で夢化していくんですよね。
最後に統合失調症の根幹について指摘することで話を終わりたいと思います。
統合失調症とは妄想や幻覚が起きる病のことだと認識されがちですが、その根幹とは「自我障害」のことを指します。
たとえば、自我が希薄になることで自分と他者の区別、つまり自他境界が曖昧になることで、自分の考えや行動が他人によって操られていると感じる作為体験、自分の考えが周囲に漏れ伝わると感じてしまう思考伝搬、自分の考えが外部の声で聞こえてくるという考想化声などなど。
これらの統合失調症の症状全般とは、自己の精神活動のうち自己所属性が失われるだけでなく、自己が他者性を帯びることであり、この他者性の出現を病的過程により生々しく体験してしまうことで自己同一性を獲得しつづけられない状態、これがつまり自我障害を表します。
この前提があまりにもネットで浸透していないと感じられるので、この機会に指摘しておきます。また気が向いたら統合失調症の当事者としてなにか書くつもりです。
以上、ここまで読んでいただいてありがとうございました。