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自作の詩『十八番目の月』の解説をする

 最近趣味で詩を書いているのですが、X(旧Twitter)でアンケートを取ってみたところ、読み方が直感的にわかりにくいという向きが多かったので、ではどのように詩作をしているのか? どういう基準で語を選定し配置させているのか? というのをなるべくわかりやすいように解説してみたいと思います。

 しかし、流石にすべての詩を解説するには労力もいるし自分でも言語化できていないところが少なからずありますので、今回はひとつの詩に絞って解説していきます。今回は元ネタありきなトピックが多い『十八番目の月』を紹介します。記事を往復する負担を減らすためここに全文載せておきます。

516.hateblo.jp

 砕かれた光の前で
 引き裂かれた影を思う
 (かぐわ)しい思い出の花弁をつまみ
 ひとつひとつ占いながら

 束ねられた暗い茎は
 過ちのように(くび)を青く垂らす
 露を帯びた白い腕からは
 粒だった水滴に映り込んだ慈しみの冷たさを知る

 握りしめた茎はとたんに古く色褪せ
 悪意のような葦がはびこる
 切り傷の血が流れる水と混ざり合い
 細い葉は揃えた産毛を刺々しくけばだたせる

 痛みに耐えかねて手を離しても
 陽の兆しは見えてこない
 やがて月の光が狂いながらつらぬいて
 わたしは導かれるようにあてられる

第一連

 まず題から解説すると、十八番目の月というのは大アルカナの《月》のことを指します。《月》のカード番号は18番目であり、今回は正位置を意識したので、正位置の意味としては、

隠れた敵 危険 中傷 悪意 恐怖 欺瞞 誤り 曖昧 幻想 心配 表と裏 段階 秘密の 埋もれたものが浮かび上がる 不安 恐れ 幻の錯覚 ごまかし 混乱 気付き
Elaeagnus タロットカード78枚『タロットカードのお使い方』p.40
 となります。

 Lunatic(狂人、心神喪失者)という語句の由来のとおり、月の光はもともと狂気の意味を示します。『タロットの書 叡智の72の段階』によれば、

「月」の不気味な薄明かりは、常に人や動物の奇妙な感情をかき立てます。狂気を意味する lunacy は、ラテン語で月を意味する luna に由来します。中世の人々は、狂気となった魂は月に向かって飛んでいくとも信じていたのです。[……]太陽が人をリラックスさせ、元気づけるのとは逆に、月の何かが恐れと未知への不安をかき立てるのです。
レイチェル・ボラック著, 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の72の段階』(株式会社フォーテュナ, 2014, p.170)
 とあります。

 また、物語のなかで狼男が満月の夜に変身する話は、月の光に当てられて狂気的になるというモチーフから来ています。

 ちょうど満月が犬や狼に一晩中遠吠えをさせるのと似たように、カードに描かれた犬と狼は月によって目覚めさせられた「自己の獣性(アニマル・セルフ)」を象徴しています。[……]そういう意味では、物語の中に出てくる満月の下で吠える狼人間の姿は、もっとも尊敬されるべき人々の中にも潜んでいる原始的で非人間的なものを顕にする無意識の力を象徴的に生き生きと描き出したものだと言えるでしょう。
同書、p.170

 砕かれた光の前で
 引き裂かれた影を思う

 第一連1行目は、太陽の光と違って月の光は普通でない→太陽光はまっすぐというイメージがあるが月の光は方向や焦点があまり定まっていない→もう一度ひねって(正規の状態が)砕かれたイメージにしよう、という連想で「砕かれた光……」と書きました。

 2行目は、ユング心理学の用語で個人のなかにおける「よく生きられなかった反面かつ半面」のことを《影》と表現します(ゲームの『ペルソナ』シリーズでも有名ですよね)。月光による狂気によって意識と無意識が綯い交ぜになっている、その影響でふだん隠れていた《影》が統御を失う→《影》は(統合失調症 [精神分裂病]のごとく)引き裂かれているだろう、という連想のもと「引き裂かれた影を思う」と書きました。

「思う」というのが大事で、おのれの自己は引き裂かれているのだけど、それを俯瞰している自己もまた存在するというニュアンスを含んでいます。

 芳しい思い出の花弁をつまみ
 ひとつひとつ占いながら

 第一連3~4行目は、花占いを下敷きに書いています。また、元ネタがタロットカードでもあるので、自分の過去(思い出)を想起しながらちぎっては捨てて占っていくという意味が含まれています。

第二連

束ねられた暗い茎は
過ちのように頸を青く垂らす

 第二連1~2行目の「暗い茎」は青い茎であり、第三連2行目の「葦」にもかかっているので、パスカルのたとえを符牒とした人間を意味し、特に若者のことを指します。「束ねられた」と書いたのは「自己を束ねられる」とも掛けています。

露を帯びた白い腕からは
粒だった水滴に映り込んだ慈しみの冷たさを知る
 第二連3~4行目は完全に感性で書いている描写部分なので言語化ができていません。ですので説明を省略いたします。なにかを感じていただければ。

第三連

 握りしめた茎はとたんに古く色褪せ
 悪意のような葦がはびこる

 若者を指した青い茎は色褪せることで「悪意のような葦」になります。説明が重なりますが、《葦》はパスカルの有名な文句である『パンセ』の、

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。[……]だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
ブレーズ・パスカル著, 前田陽一・由木康訳『パンセ』(中公文庫, 2018, pp.250-251)
 に由来しています。「悪意のような葦」とは、よく考えることに努められないからこそ道徳の原理が崩れた人々、たとえば卑怯な人間やしょうもない大人のことを表現しました。「古く色褪せる」と書いていますが、決して老人だけを指しているわけではありません。

 切り傷の血が流れる水と混ざり合い
 細い葉は揃えた産毛を刺々しくけばだたせる
 第三連3~4行目は感性による描写の部分です。説明を省略!

第四連

 痛みに耐えかねて手を離しても
 陽の兆しは見えてこない

 第四連1~2行目は、そのような「悪意のような葦」を持った人間になるのが耐えられないから手を離したが、太陽が出るための朝まだきは訪れないことを示しています。

 やがて月の光が狂いながらつらぬいて
 わたしは導かれるようにあてられる

 こちらは月の光が肉体をつらぬいて結局狂ってしまったねというオチです。「あてられる」というのは「事件・不幸・罪などに直面する」「毒気・悪気の害を身に受ける」*1などの意味があります。最後にまた『タロットの書』から文章を引いておきましょう。

 狂気は肉体の中で、もはやコントロール不可能な興奮と共に起こることもあります。また、しばしば狂気は動物化という形を取ることもありますが、そのとき人は四つん這いになって這いつくばり、裸になり、月に向かってうなったりもするでしょう。さらに言えば無意識のエネルギーが突如、解放されることは人格を崩壊させる危険となることすらあるでしょう。タロットにおいてこの非常に危機的な瞬間は、長い準備期間と共に通常の自我のあらゆる問題を終わらせた後にのみ起こります。
レイチェル・ボラック著, 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の72の段階』(株式会社フォーテュナ, 2014, p.171)

 以上が『十八番目の月』の解説となります。もちろん詩を書く際はいちいちこんなことを考えているわけではありませんが、語句の選定とイメージの連想はなにかしらの関連があるのではないかと私は考えている側の人間なので、今回はそこにフォーカスして言語化を行ってみました。

 お楽しみいただけたのなら幸いです。ここまで読んでくださってありがとうございました。

*1:広辞苑より。