本稿の企図はネット上で流布されている統合失調症の遺伝的要因についての偏見を、学術的根拠とさらなる事実に基づいた記述により一掃するためのものである。
統合失調症の当事者による昨今の痛ましい事件もあり、この精神疾患についてあまり縁がない一般の方はともかく、統合失調症に対して誤った知識を広める者、ネット上で精神科医と名乗る者が一般人に対し統合失調症について偏見を助長させるような主張をするのが目立つ。
また、統合失調症の当事者であったとしても、個人的判断のみによる断薬を行ったり統合失調症について誤った見解を述べるなど、無理解による主張をする者も散見される。
統合失調症の当事者として、筆者はこのような者らに対して批判的な立場をとる。
日本では1937年に日本精神神経学会が[Schizophrenie]を「精神分裂病」と訳したが、ある家族は「聞いただけで、夢も希望もなくなる」と述べていた。
1993年、全国精神障害者家族連合会(当時)から、「精神分裂病は侮蔑的な病名なので変更してほしい」との要請があり、それを受けて学会では委員会が設立された。
「病名そのものが当事者や家族の社会生活の不利益を生じてはならない」ということが基本原則とされ、2002年の日本精神神経学会において、「精神分裂病」から「統合失調症」の病名変更が承認されるにいたった。 *1
にもかかわらず、現在でも統合失調症のことをネット上で「精神分裂病」「分裂病」と呼ぶ医療関係者と名乗る者が現れたり、統合失調症の当事者について不利益を生じさせるような主張を繰り返す者も少なくない。
そこで今回は、統合失調症のトピックでよく語られるであろう遺伝的要因の話に絞って学術的根拠を交えながら述べる。これを機に統合失調症について適切な理解が得られるなら幸いである。
臨床遺伝学
統合失調症の多くは、散発性(sporadic)である。散発性とは、「点在していて不規則や予測できない形で散在的に見られること」を意味する。家族的遺伝負因なしに生じるが、ある程度の遺伝傾向があるのも事実である。
Irving Gottesmanの統合失調症患者の発病リスクの一覧 *2 はよく引用されている。
それによると、統合失調症の発病危険率は、一卵性双生児は48%、第一度親族(両親、同胞、実子;遺伝子の50%を共有)は6〜17%、第二度親族〔おじ、おば、甥、姪、異母(異父)同胞;遺伝子の25%を共有〕は2〜6%、第三度親族(いとこ;遺伝子の12%を共有)は2%、一般集団は1%だった。
遺伝子を共有する率が多いほど、発病危険率が高くなることから、統合失調症には、遺伝的要因が関与しうることが示唆される。しかし、こんな話 *3 もある。
かつて、ある公開講座で、一人の高齢の男性が質問をした。
自分の娘はある精神疾患にかかっていたが、その後、結婚をして今は無事に過ごしている。その娘が結婚する際に、主治医からは子供を作らないほうがよいと助言された。娘も家族も子供を欲しかったのだが、それを断念して今日に至っている。
もう娘は子供ができる年ではないが、わが家にとっては心残りである。現代の医学からみて、この選択をどのように考えられるか、お伺いしたいという質問だった。
患者や家族にとって、これは痛切な問題である。
筆者は医療関係者ではないが、医学的見地からは、発病危険率のデータを説明するにとどめて、その意志決定は本人と家族に任せるのがよいと思われる。
またその際に、マイナス面だけでなく、プラスの視点からもバランスのとれた説明をするのがよいと思われる。
統合失調症患者の子供が統合失調症を発症するリスクは13%で、一般人口の1%よりも10倍ほど高い。
しかし逆に言えば、87%は発病しないということでもある。
Gottesmanは、その著書(1991;和訳p.106)で、
マンフレッド・ブロイラーは、父親の研究を引き継いで、統合失調症患者の子供には驚くほど健常者がいることを見出した。[……]研究の結果、ブロイラーは20歳以上の子供の実に74%が正常であると考えた。
と述べているが、これは上記の数値からも指示される。
また、ここで示されているのは、統合失調症患者の親が統合失調症であるリスクは6%に過ぎないことで、Gottesmanが述べているように「統合失調症患者の親の大多数は病気ではない」
双生児の所見
Irving GottesmanとAksel Bertelsenは、一卵性双生児不一致組における非発症例について、注目すべき結果を報告した。 *4
それによれば、双子の片方のみが統合失調症の発病者である一卵性双生児不一致組(第一世代)のうち、統合失調症患者(11人)の子供(第二世代)に統合失調症が発病する危険率は16.8%あった。
一方で、非発病者(6人)の子供(第二世代)の発病危険率も17.4%だった。
これは驚くべき結果であり、不一致組の非発病者にも、リスク遺伝子が潜在的に遺伝されていること、リスク遺伝子を有していても発病するとはかぎらず、それが発病者と同じ比率で子に伝わることを示している。
一卵性双生児、すなわち遺伝子の塩基配列が同じ場合でも、発病危険率が約50%であること、そして、リスク遺伝子を有していても発病するとはかぎらないことはどのように説明されるだろうか。
遺伝するのは疾患自体よりもむしろ、疾患への傾病性(liability)、あるいは感受性(susceptibility)と呼んでもいいのかもしれない。
Gottesmanは、さらに1991年の著書(原著pp.86-93)では、理論的には統合失調症に拮抗する(antischizophrenia)遺伝的、環境的資産もありうること、そしてこの資産と傾病性のバランスによって、統合失調症を発病するか「破産」せずに発病しないにとどまるのかが決まるという示唆に富んだ考えを述べている。
このように考えなければ、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児が発病するかは半々で、しかも、発病してもしなくても、その次の世代には同程度に傾病性が伝わるという重要な事実を説明できないと述べている。
結論
統合失調症患者の子供が統合失調症を発症するリスクは一般人口の1%よりも10%ほど高いが、逆に言えば87%は発病しないということでもある。
また、遺伝するのは疾患自体というよりもむしろ疾患への傾病性、あるいは感受性と呼んでよく、理論的には統合失調症に拮抗する遺伝的、環境的要因もありうる。
その環境的要因と傾病性のバランスによって、統合失調症を発病するかしないのかが決まるため、一概には遺伝的要因のみで統合失調症が発病するとはかぎらない。
これはまた、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児においては発病するかは半々で、しかも、発病してもしなくても、その次の世代には同程度に傾病性が伝わるという重要な事実を示している。
以上が統合失調症の遺伝的要因についてのレポート内容である。
*2:Gottesman II : Schizophrenia Genetics ; The Origins of Madness. Freeman, New York, 1991〔内山幸雄, 南光進一郎訳『分裂病の起源』日本評論社, 東京, 1992年〕
*3:倉知正佳『“脳と心”からみた 統合失調症の理解』医学書院, 2016年, p.43
*4:Gottesman II, Bertelsen A : Confirming unexpressed genotypes for schizophrenia. Rises in the offspring of Fischer's Danish identical and fraternal discordant twins. Arch Gen Psychiatry 46 : 867-872, 1989