はじめに
決定打となったのが3月20日だった。そのとき私は表明という名のブログ記事を書いたのだが(現在は削除済み)、そもそもあれを書いたきっかけといえば、頭のなかで不特定多数の人間が自分に対する噂話をしているのを振り払うためだった。
私の統合失調症
上記の関連記事で言及されている削除済み記事(2020/3/20投稿)の本文ですが、有志の方が残してくれていたみたいなのでせっかくの良い機会だと思い本ブログに改めて再掲します。
投稿にあたり手直しを行っていますが、統合失調症の陽性症状まっさかりの当事者が書いた文章本来の味わいを残すため最低限に留めています。以下本文。
本文
「好きなキャラを解釈し続けてると思っていたら、いつのまにか自己を暴いてしまっている感覚に陥っていた。それは間違いではなかった。キャラを正確に解釈するため、ことあるごとに私は私の経験を持ち出す。私は私の目で、ただ私を見ているにすぎなかったのだ」(あるソーシャルゲームユーザーの手記)
https://twitter.com/516kmay/status/855786354432647168
この投稿を呟いた瞬間から、いままでずっと考えていた。現時点で私はぐずぐずと降参せず、いまだ多くの核心について口を閉ざしつづけている。本当の意味で、私はそれについてうまく語れない。
そもそも自分の語るべきことが何なのかすらもわかっていない。できればずっと黙って、このまま死ぬまで健康で生きていたい。それはとても楽な道だろう。しかし、小説を書きたいと願う以上、語ることとは何なのかとも向き合わざるをえない。
私の頭のなかの持ちもの。生まれてからここまでの、時系列がずたずたになっても忘れられない記憶たち。毎日の頻度で起きるそれらのデジャヴ。どうしてそのようなことが起きてしまっているのかという、答えの出ない問い。かろうじてたぐり寄せた継ぎ接ぎの思い出。明日になれば元通りずたずたになる記憶たち。使い回しの沈黙。以下繰り返し。以下繰り返し。以下繰り返し。それだけ。
それはしかたのないことで、どうにもならないことなのだろう。気にするまでもないことなのだろう。わかっている。けれど、わかっていたとして、どうにもならない。忘れられないのだから。
自分の語ることについて無限のためらいがある。それは私自身のパーソナリティが、とても複雑に入り組んでいるからかもしれない。それはべつに私だけでなく、ほかのだれかだってそうだろう。語ってしまったことは、言語化した瞬間に、自分が伝えたいニュアンスがそこなわれるかもしれない。
語られたことは、たとえば、ほかの誰かがまたそれについて語ってしまえば、その人の語りの技量のぶんだけそこなわれる。語りすぎてしまえば、語りたいと思っていた人間の姿はどこにもいなくなってしまう。そこで語られていたのは本当に誰?
語ることには技量がともなわれるように思える。語れないことを語れるようにするには、少なくとも私の場合、自分の言葉で語れるようになるまで、頭のなかで何度も何度も何度も何度も、それこそ十年以上すら費やして同じ言葉を語り直さなければいけなかった。
話せば楽になれるという向きもあるだろう。しかし、「話せば楽になれる」という語りそのものに、私は何かがそこなわれてる気がしてならない。たとえば、緘黙的な人間に向かって同じことが言える? たとえば、みずから傷つけたのに絶句している幼い子どもに向かって、「嘘だから気にしないで」なんて言えるのだろうか?
もちろん、緘黙的な人間は語ることそのものが苦痛だから語ろうとしないし、幼い子どもは大人になっても自分の傷を絶対に忘れない自信と絶望を身につけるから気にしなくなるだろう。いくら取り繕ろうと、本当のことは絶対に誤魔化せない。人間の痛みや傷は真実だ。私は真実に献身する。真実を見抜くのは本当に骨が折れる。辛抱づよくじっと待ちつづけて、やさしく掬い取ってやらないといけない。
どうにもならない状況というのは、つねに疑問形で語られるものだと思う。私はその言葉をよく知っている。「どうすればよかった?」この問いを死ぬほど考えてきた私はこの答えを知り抜いている。「どうしようもない」つまり言語に絶する状況ができあがる。
どうしようもない状況の矢面に立たされている立場が存在するなら、その状況を完膚なきまでに暴いてやることが、せめてもの気休めになってくれないだろうか。どうしようもない状況には、どうしようもない力をくわえてやればいい。それこそ、とびっきりのブーケ型爆弾と「あなたが生きていてくれてありがとう」という感謝のメッセージカードを添えながら。語りつづけるためには生きていくしかないのだから、それぐらい言っても罰は当たらないだろう。
フィクションなり人の言葉なり、語ることに力があるのなら、その力にはつねに暴力性がはらんでいるように思える。だったらあっさり認めてしまえばいい。語ることはつねに暴力になりうると。解釈はつねに暴力になりうると。
また沈黙することも力のひとつであり、つねに暴力になりうると。それは誰にだって同じことが言えるのではないだろうか。そのうえで、私は私が語ること/語らないことの暴力性を自覚しなければならない。
自覚するまで、ずいぶんと時間がかかってしまったことを謝りたい。私が空想のうえで語った人物やシステムが、痛みすら含ませて語ってしまったことを謝りたい。自覚したうえで、私自身はこれまで以上に語ることを慎重に選ばなければならないと考えている。それこそ、長い長い年月をかけることがあったとしても。
語ることで壊れたもの/壊してしまったものをずっと覚えている。語らないことで壊してしまったものも覚えている。もちろんそれは気づける範囲の話で、気づいてやれない範囲はいつまでも気づいてやれず、やがて壊してしまうのだろう。忘れでもしないと、その破壊性を自然とその身に引き受けてしまうのだろう。
私はそのつもりはなかった。けれど、私の意志とは無関係に思い出してしまう。忘れたいわけでもない。忘れたくないわけでもない。忘れることのできるものでもない。いっそ忘れられないなら、いつか忘れるためにずっと忘れないでおくのもいいと思う。「語るためのいつか」は来るかどうかすらわからないけれど。
できればずっと黙って過ごしていたい。けれど、そうにもいかなくなっている。私は私のプライバシーをとても大事にしたい。このプライバシーについての考えは、私の「当人の実感や経験はかならずしも他者の実感や体験と共有されるとはかぎらないし、仮にそのタイミングがあったとしても共有しようとするかどうかの自己決定権は当人自身にゆだねられる」というポリシーと直結している。
私の人生は、他人の言及によって絶対にそこなわれない自信があり、また私の意志にかかわらずそうならざるをえない状況に立たされてしまっている。私は私の核心を絶対に他人にゆだねたりはしない。生まれてからいままでそこなわれてきた私の本質を私自身がそこなわせて語ってしまうぐらいなら、最初からなにも語らないほうがまだいい。
どうしようもないことを、私はずっと考えている。どうしようもないこととは? たとえば、生まれてしまったこと。もしくは、生きていくこと。いつのまにか誤解が共通認識になってしまった。真実よりも嘘のほうが痛みが少なくて済むのだろう。けれど、気休めの嘘なんて比にならないほど絶句した状況と痛みが、この世には確実にある。
私は耳が聞こえないのかと間違われて医者に診られてしまうほど、言葉を話すのが異様に遅い子供だった。けれど、失くしたものを思い出すことにずば抜けていた。私にかかわってきた人たちの名前を覚えている。最初に言葉を覚えた本を覚えている。一週間で外国語を覚え、もう一週間で忘れた、ということを覚えている。けれどそのときも、ずっとずっと、私は必死で耳を澄まそうとしていた。自分の考えを、自分の言葉を。
失ったものについて思い出してしまうことは、ある意味では過剰反応なのだろう。けれど、この過剰反応に立ち向かうすべが見つからない。疲れが取れないなら、眠ることすらも残酷に思える。眠ることは思考を中断させる。私は眠るよりも、ただ考えていたい。かぎりなく明晰であることが、ただ状況をすみずみまで見渡せるのだから。
時間が痛みや傷を癒やしてくれるというのは、かならずしも真実でない。たしかに時間は人を癒やしてくれるかもしれないが、疲弊された状況で疲弊された時間が流れているなら、癒やしなどどこにもないだろう。
黙ることにも疲れている。疲れているなら、疲れたまま語るしかない。けれどそのときこそ、うまく語れるときなのだろう。疲れているときは、変な力が入らないで済む。ありのままを語ればいい。
人生の忘却作用はある意味で救いなのだろう。さまざまな痛みや不条理を忘れられるのだから。けれど、いつまで経っても忘れることのできない、忘れてはいけないと考えている人間が、少なくともここにいる。つまり、救われない人間ができあがる。
けれど、すでに私は救いを求める必要がなくなってしまっている。自分が救われるんじゃないかという、そんな甘ったるい夢想はとっくのとうに捨ててしまった。なぜなら、私は私の全人生を賭けて、自分の意志で痛みや不条理を積極的に引き受けようとしてきたのだから。
救いの本質を私は知っている。救いとは少なくとも二者間で行われること。救いたいと願う者と救われたいと願う者との結託、もしくは救うべき立場と救われるべき立場との共犯関係。しかしそれはお互いの要求が確認されていないと、もしかすると傲慢にも受け取られないだろうか?
私は降参できない。私が黙っているのは、たとえ気づいているにせよ、まだまだ自分の状況に絶句せざるをえないからかもしれない。私はいまだにうまく語れない。これまでの私がうまく反応できなかったのなら、これからの私がうまく語るしかすべがない。
たとえそれが手遅れだとしても、私は私の《どうしようもなさ》を引き受けながら生きていくために、覚悟を試しつづけるために自分の信じることに献身したい。これは私だけにかぎらず、誰にだって享受していい権利だろう。
いったい個人の生をなんだと思っているのだろうか? この問いはおのずと私自身やほかのだれかを含めてしまい、少なからず痛みをともなってしまうだろう。だからこそ、すでに私は幸福であると信じたい。生きつづけていくことはときに暴力的であり、とても脆く繊細で傷つきやすくて、政治的でありうることすら避けられないかもしれない。
だけど、だからこそ、それでも、私は偶像としてではなく、いまここにいる人間として生きることそのものを擁護しつづける。私の人生は私のもの。私はずっとここにいる。だからもう悲しまなくても大丈夫。たとえ私だけにかぎらずとも、生者でも死者でも、それこそ暴力をはらみかねないとしても、誰にだってそれぐらい語る権利があるだろう。不当な力に抵抗するための秘密のやさしい力なのだから。