Idle mode

備忘録

夢の内容

 小説の描写の練習も兼ねて、これ以上記憶が変質してしまう前に書き残しておこうと思う。特に夢は鮮度が変わりやすい。あれほど精彩に感じられた現実感の肌ざわりが、数分もしないうちにほろほろと崩れながらモノクロに色褪せていく。

 今回の夢はかなり変わっていた。夢のなかにいながら、これからどこで何が起こるのかの内容をあらかじめ知らされている状態だった。「これは夢である」という自覚はなかったので、明晰夢ではない。言うなればその夢のなかで限られる予知や既視感に近かった。すでに知っていることになっていたし、もう体験したことになっている。直観的に、その夢の世界で二周目のリスタート地点にいるのだとわかった。

 夢の場所はこうだった。基本的に学校と似た建物にいる。妙に暗い廊下は蛇のようにくねっていて、カーブや曲がり角につづく死角が多い。ワックスのつやを失った廊下のひろさは七メートルぐらいで、通路よりもむしろ道路という感じだった。廊下の両脇に面する壁の片方は、曇り空の淡い光を感じられるガラス窓が申しわけ程度に設置されているだけで、もう片方の壁には窓のない教室の引き戸が短い間隔で設置されていた。外からでは教室のなかは確認できず、すべての引き戸は隙間なく閉められている。引き戸には覗くための窓の代わりに、小さい三角形を組み合わせてできた直角三角形の黒い模様がきざまれている。

 ひろいからか、廊下には人が多くいた。ほかの誰かと喋る人、走りまわる人、立ち止まっている人。夢の内容、つまり予知内容はこうだった。これから殺人鬼が現れて、魚の腹のように輝く大ぶりのナイフで廊下にいる人たちを殺してまわる。それを一周目でも防ごうとしたが、失敗した。予知の最後の光景には、血が滴って乾かないナイフの刀身と、床にひろがる血の海が見えていた。

 予知内容にしたがって、廊下をずっと進んだ先にある、突き当たりのトイレまで走ってたどりついた。トイレに入ると、水色のタイルが敷き詰められた空間にアースグリーンの作業服を着た清掃員がいたが、それが殺人鬼の化けた姿だった。殺人鬼はモヒカンショートが目立つ四〇代ぐらいの恰幅のいい中年男性で、肉づきのいい顔には子供すら喜ばせるような笑顔を浮かばせていた。風船配りにはこれぐらいの笑顔が必要だと言わんばかりに。正体を問い詰めると、殺人鬼はいっそうにこにこ笑いながら、すばしこく動きまわりこちらの隣をすり抜けてトイレから出て行った。これから殺人がはじまる。

 急いで殺人鬼を追いかけたが、彼はこちらに向かって手を振りながら、後ろ向きで廊下の人だかりの隙間を縫うように走っていった。背後の誰かにぶつかりそうになると、寸前でかわしてその人の肩を馴れ馴れしく叩くほどの余裕を見せる。追いかけているだけでやっとなのに、殺人鬼はくねくねうねった廊下のカーブや曲がり角の死角を活かしてどんどん逃げまわる。それで直感的にわかったのは、殺人鬼もこちらと同じような予知内容を共有しているということだった。

 予知にあった一周目での殺人鬼は、廊下に現れるやいなや手当たりしだいに通りすがりの人たちを切りつけ殺してまわっていた。それが今度の二周目では、こちらの気を引かせるサインを送りつづけながら逃げてばかりで、肝心の人殺しを行おうとしない。つまり、わざと人殺しを後まわしにしておいて、追いかけているこちらを充分に引きつけながら殺人をしたい場所から引き離し、好きなタイミングで撒いてから殺人に取りかかるつもりなのだと、まんまと誰もいない場所に置き去りにされたときにそう思った。予知まで使ったこちらの動きがさらに先回りされている!

 急いで隠れようと、すぐさま近くの部屋に飛びこんで避難した。殺人鬼はまだ近くにいるはずだった。丸腰だったうえに、殺人鬼にとっては、あえてこちらを無視してほかの人間を殺しまわるのも、先にこちらを殺してから本来の目的に取りかかるのも、どちらでも都合がいい。むしろ、後者のほうが合理的だった。

 避難した部屋は、思いきり墨を噴霧したような暗闇で静まりかえっていて、かすかに視認できたとしても何もない空間がひろがっていた。そこでじっと息をひそめていると、しばらくして閉めていた部屋のドアがとつぜん開け放たれた。ドアの先には教員らしき人間がいて、こう言った。「ほら、はやく帰ったほうがいい」

 そこで夢は覚めた。

(裏テーマである今日の書き方の縛りは、「一人称視点でありながら一人称代名詞をなるべく省略する」でした。難しかったです)